「武家諸法度」と共に幕府経営の根本となる法規であった「禁中並公家諸法度」
日本法制史上この法規が果たした役割とはなんであったのか?同じ武家法であった「貞永式目」「建武式目」との違いは?
天皇主権の根幹を揺るがす革命的法規であった本法の真の姿とは?


■ 革命的法規「禁中並公家諸法度」

ガッコなんかでは割とあっさりと済まされるところじゃないです?

どちらかと言うと『武家諸法度』を取り上げることの方が多いですよね。

わたしなんかは『武家諸法度』の方が重要だって感じますよ。
『禁中並公家諸法度』って朝廷統制でしょ?実質的に権力を持たない朝廷に何してんだろ?って感じ。それよか謀反のおそれのある大名統制の『武家諸法度』の方がぜんぜん重要でしょーに。

ぱっと考えるとそうだよね。でもよく考えてみて。
『武家諸法度』と『禁中並公家諸法度』って大坂夏の陣で豊臣が滅んだ直後の発布なのよ。
豊臣無き今、徳川家って天領だけでも400万石、総所領は700万石の超大名なのよ。前田家や上杉、伊達あたりが束になってもかないっこないの。秀吉時代からの大大名の福島家や加藤家だってあっさりとお家お取り潰しなんだよ。それに対して他の藩から何の抵抗も無かったし許されなかったでしょ。

『武家諸法度』こそ赤子の手をひねるような感覚のものなのかもしれませんね。

うん。既に既成化してる大名統制をとりあえず書いておきましたよ、程度のモンだったと見たいんだな。
それに対して『禁中並公家諸法度』はそれまでの常識をうち破った画期的な法規だったのよ。

それまでだって『貞永式目』とか『建武式目』とかあったじゃないですか。

『貞永式目』なんかは武家法って言って一応律令を前提とした部分法なのね。
律令は公家用の法規だから武家については不足があった、だから補足的な意味合いで制定したって感が強いんだなー。

北条泰時もこの武家法で公家法に影響が出ることはないって言ってますからね。

でも『禁中並公家諸法度』は違うと?

これは武家が公家、もっと言うと天皇に対して規定を定めたって言えるよね?
これって全てに対して適用する最高法規、そもそもこういう最高法規ってものはたとえ形骸化していても主権者である天皇から発布されるものなハズ。
でもここで最高法規は幕府から出されることになったんだよ。

『禁中並公家諸法度』を制定し、それによって天皇以下公家全体を幕府統制下に置くことに定めた。
ここで史上初めて武家が公家を超越して主権者として規定された最初と言えるんですね。

確かに天皇が主権者であるって歴史は古代で「事実上終わってる」んだよ。でも建前として国家主権者は天皇ってのは中世でもまだ生きてたんだな。
そういう意味で国家の最高法規を制定するのは天皇だっていう暗黙の了解みたいなものは残っていた。
たとえ天皇が事実上仕切ることのできるところは内裏のみであったとしてもね。

そういう一文ってありましたっけ?
なんか「和歌の道は大切だから励みなさい」とかそんなのじゃなかったでしたっけ?

日本の法制史上では例えば何かの職に就ける場合は「○○に補任する」って言い回しをしないでその執行するべき職務の内容を書くことで行ってるんだよ。
だからはっきりと明文化されていないからそういう事実は無かったと言うのはいまいちなの。それに相当する内容が書かれていることで「そういう風に規定された」って見なければならないんだな。

『禁中並公家諸法度』と言う法規を制定したこと。その内容は天皇以下全公家を将軍の統制下に置くとしたこと、これだけで十分なんですね。

戦後の日本国憲法のようにはっきりと主権の存在をうたってる訳じゃないよ。でも従来の慣例から言って将軍が主権者と認定されたって言えるのよ。
これはかなり重要な事なんだなー。なにしろ主権代行者が主権者に対して規制しようってんだから、これはもう明らかな越権行為。将軍が為政者として存在できる根拠の否定にもつながりかねないのに。

二条城に全公家を呼んで禁中〜全十七条を聞かせたって言うんですからやることが剛毅って言うか恥知らずって言うか。

よく怒り出さなかったですねぇ。

例えば「政治は幕府にまかせなさい、軍事も全部わたしたちがやります。」なら公家たちも百歩譲って「まぁいいか仕方ないな」的なことも思うかもしれないんだけどそうじゃないんだよ。
さっきしもしもちゃんが言ったみたいな・・・

「和歌に励みなさい」?

うん。王道とはこういうものだ、学問はこういうふうに学びなさい。和歌も大事ですよ。ってね。
「余計なお世話だ」っつーのよ。まぁよくもここまで言えたなって言うのあるな。
こういうのを厚顔無恥っつーんだけどね。

前関白で摂政へ返り咲くことが内定してた二条昭実は全公家を代表して「大変よくできていて申し分ない」なんてことを言ってるんだから受ける方も受ける方なんですけどね。
朝廷を代表する人がこんな有様じゃぁ・・・

『禁中並公家諸法度』には別段何も感じてなかったんですが結構いろいろあるんですね。

とにかく村下的には完膚無きまでに叩きのめした感があるな。
公家主権の崩壊、武家主権の成立、「あなたがたはもう何もしないでいなさい」っていうことを17条に渡って淡々と述べてるんだよね。
ここに家康のリアリズムが現れてるって思わない?信長や秀吉みたいに派手さが無いじゃん。でもそのかわり徹底して事務的なんだな。いかなるものであろうとも家康のもとでは静かに淡々と進行してしまう。「政治家としては」理想的って言えるんじゃない?

うーむ、そんなに奥が深かったとは・・・。

そういうことをお話するのがここの目的なのぢゃ。やっぱカラー出して行かないとさ、あまたあるサイトん中に埋もれちゃうじゃん。

「更新が遅い」ってことでは定評があるみたいですが。

がちょーん。

チャンチャン

これ!ここで終わらせるんじゃないよ。まだあるんだから。

え?今回はこれで終わりなんでは?

もう一つだけね。さっき「明文化しないけど法慣行上・・・」みたいなお話をしたでしょ?

はい。事実として認識されるってことでしたよね。

そうね。しかしここがまた一つのポイントでもあるのよ。
必要条件としてのものは満たしてる、でも例外的なこと-はっきり言えば黒船だけども-なものまでその範疇に入ってはいないのよ。ここに後のツッコミどころがあるってーのはひとつ覚えておいて欲しいんだよ。

ややこしいです〜。

積極的に規定されていないからこそ消極的には残ってる、そんな曖昧さがあるんだなーコレが。
政治上の主権は否定されたけど今度は制度として天皇制を前提として規定されたモノだったからこそ一層天皇制が際だってきてるのね。

それは幕府にとっては危ういことなんでは?

それが顕著に現れるのが幕末なんだね。
う〜ん、将来のコンテンツに良い「引き」になってるなぁ、やるなぁわたし・・・ウットリ。

自分に酔ってるよ、この人(苦笑)

あまり知られていませんけど幕末以前でもそういうお話はあるんですよね。

そうね。一番有名どころでは紫衣事件かな?
あっ、これも良い「引き」だわ…、ポーーッ。

あかん。イってしまってる。
・・・しょうがないわたしが繋ぎます。力関係では全くお話にならないし政治主権も放棄させられた朝廷だったにも関わらず事あるごとに幕府との緊張関係をもたらすのは、ここで形式的にであろうともきっちりと「規定された制度」になったからなんですよ。

政治的に無力であるってことが逆に超政治性をもたらしてる?

ですね。第二次大戦後の指導者が悩んだのも実はそこにあるんですよ。政治的でない政治性、扱いに困る問題だと思いますよ。

切っても切れない関係って言うのかな?なんかすごいね。

ポーーーッ

まだ自分に酔ってるんですけど、この人。

たぶん次までには復帰してると思いますよ。さめやすい人だから。

よし、じゃぁ今回はわたしが締めましょう。「ここは押さえておいて欲しいんだな」

(^_^;)センセのマネしてません?

うふふ。

    
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