欽明期、歴史の表舞台へ突如として現れた蘇我氏。
後の乙巳の変もう一方の主役である蘇我氏とは一体何物なのか?


■ 蘇我氏登場

蘇我氏っつーのは歴史に突如として現れるわけなんだけども。

古来からある豪族では無いみたいですね。一応武内宿禰の後裔ってことになってるみたいですが。
武内宿禰の子、蘇我石川宿禰を祖として以後、満致・韓子・高麗・稲目と続くことになっています。

はっきりと現れるのが蘇我稲目なんだよね、それ以前はちょっとアヤシイ。
石川宿禰って言うのは乙巳の変以後蘇我本宗家に昇格した蘇我倉家の系図から創作したんだろうって言われてるみたいね。
ともかく素性がはっきりしないんだよ

しかしながら稲目は娘二人を欽明天皇に嫁がせることに成功しています。

氏素性のはっきりしない蘇我稲目がなにゆえ欽明天皇にそこまで接近できたのか?
これは稲目の子、馬子の言動から推測できるんだよ。
馬子は晩年、葛城県を自分の出身地であるから封県してもらいたいって推古天皇に申し出てるんだよね。
葛城県を姓としても使ったってことだから馬子は「葛城臣馬子」を名乗っていたと考えられるわけ。

それが欽明天皇とどういう関係が?

葛城氏っていうのは今の奈良県あたりに一大勢力をもっていた豪族なワケ。

いや、だから蘇我氏なのになぜ葛城氏なのかそれがわかんないんです。

昔は子供っていうのは母方の出身地で育てるのが普通なのよ、馬子の育ったところが葛城であるならば・・・。

あ、稲目のおヨメさんの出身地が葛城。

うん。稲目自身はちょっとアヤシゲだったとしてもその妻は葛城氏出身の名のある人であった可能性が高いってことね。この血統を利用して欽明天皇に接近したんじゃないかな?って感じ。
欽明天皇にしても安閑・宣化の王統を否定するためにも葛城っていう由緒ある血統は欲しかったに違いなかっただろうしね。

んー、大化改新の目的の一つとして蘇我氏が大王家にとってかわろうとしたのでそれを防いだって言うのがあるって聞きましたけどー。

そもそも蘇我氏の成立過程からして大王家なくしてその存在価値も無かったわけで、いわば一心同体少女隊なのにそんなことしようって思うか?

そういうフレーズは年齢がバレるので使わない方がいいかと思いますが。

あの生意気だった引田テンコーの娘は今何やってるんだ?

知りませんよ。そんなことより話を進めて下さい。

いや、このお話はこれで終わりなのさ。ここで押さえておきたいのは蘇我氏というのは大王家あってのモノであって大王家を否定するってことは自己の否定にも繋がるのだからそんなことはしないでしょ、ってことよ。

これで大化改新の意味がちょっとわからなくなってきました。

それが今期の講義目的なのぢゃ。

いいのかなぁ・・・

    
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