藤原時平による菅原道真の太宰府左遷。これによって時平の権勢は盤石とのものとなるに至った。
と、同時に内裏で奇妙な事件が頻発する。道真の怨霊と畏れられたこれらの事件、果たして怨霊とは一体何を意味するのであろうか。
そしてこの怨霊思想に決定的に欠落している点とは何か?


■ 怨霊思想の欠落点

太宰府へ左遷された菅原道真なんか有名ですよね。
紫宸殿に落雷があったりして遂には道真の怨霊を鎮める為に天満宮が造営されたりします。

まぁ科学的な思考なんてその頃できっこないしー

んー、科学的でも非科学的でも村下的にはどうでもいいのよね。
それよかこのあたりのいわゆる「怨霊」って考えの方がどうしても納得いかないのよね。

それって非科学的って言ってるようなモンなんじゃないです?心霊写真とか信じないクチでしょ?センセって。

黒い点が逆三角形に3つあれば人の顔に見えてしまうのは心理学上も証明されてるし、心霊写真って言うのはそのほとんどが再現可能だから世の中にはびこってる大部分はアヤシイとは思ってるよ。
でもここでやりたいのはそんなお話じゃないのよね〜。

「大部分は」ですよね?

からむねぇ。科学的に証明できないことだってあるってわたしは思ってるよ。全部が全部偽物だなんて思ってないさ。
「わたしは自分の目より科学を信じるのだ」なんて言わないもん。

奈良原博士ですね。でもいまどきそんなの誰も知らないと思うんですけど・・・

「婦女子に自爆のロマンがわかってたまるかーー!」

それは成原博士です。だから誰もわかんないですって。

あのね、そういう科学的とか非科学的云々で「怨霊」ってモノをどうのこうの言おうってワケじゃないのよ。
例えばさ、桓武天皇が平安京とか長岡京へ遷都した目的って知ってる?

たしか奈良仏教と縁を切りたかったとか・・・

そうね。その中で造宮使、藤原種継の変死とかで怨霊って思考が出てくるワケよ。

菅原道真なんかも強引な失脚→左遷でたまった恨みが怨霊と化したなんてお話ですよね。

わたしは歴史って「流れ」だと思ってるからさ、歴史に政治の表舞台で活躍する人しか出てこないのは仕方ないって言うか「そういうものだ」って思ってるよ。
でもさ、それって言うのは他の人たちを無かったものみたく無視していいってことじゃないと思うのよ。

突然何を言い出すんですか?

怨霊だなんて冗談じゃないってことよ。
アメリカみたいに歴史の前面には出てないけど日本にはこの時代でもしっかり奴隷の制度ってのがあったの。
有力な貴族・寺社は大量の奴婢と呼ばれる奴隷を酷使してたのよ。

確かにそういうものが日本史の全面に出てくることってあまりありませんよね。
強いて言えば江戸時代の身分制度あたりでちらっと出てくる程度で。
同和教育もそうですけどちょっとタブー視されてる面は否定できませんよね。

村下的には社会って言うか文明って言うかが成熟していく過程で奴隷とかの出現は自然な流れなんだろうと思ってるしさ、それはなんと言うか人間の本能的なモノに直結するんじゃないかとも思ってる。それが現代も通用するとは言わないよ。言わないけど歴史の一部としては認めなければならないよ、ってことね。
それをくだらないヒューマニズムみたいなモノで目を伏せてしまうのは如何なものかと思うんだけどな。

当時東大寺に400人弱、法隆寺で500人強、法興寺に至っては籍にある奴隷だけで1700人居たって資料があります。

西大寺や興福寺、薬師寺、唐招提寺・・・その他15大寺とか言われてる大寺院も同じくらいの奴婢が居たって思っていいと思うのよ。
聞き流してちゃいけないんだぞ、いい?奴婢の「婢」って言うのは女性のことを指してるんだぞ。

え゛。そうだったんですか!

僧侶たちのなぐさみものになった人って100や200じゃ済まないと思うんだよね。そういうのを考えるといたたまれなくなっちゃう。
オトコの人も含めて何千人というそんな身分の人たちは幼い頃からこき使われて、死んでしまったら「けがれたもの」としてそれこそ路上に放り捨てられていたんだよ、そんな人たちの苦しみや怒り憎しみも考えないで何が道真の怨霊よ、悪霊なのよ。そんな何千人より何が立派だって言うの?道真とか言う輩のさ!

怒ってますねぇ。
しかしここんところ貴種って言われるあたりをとりあげてお話することが多かったのでなんか変な感じですね。

「源平藤橘」のところで貴種についてお話をしたのでずっと引っかかってたんだけど、これだけは言っておかねば!って思ってねぇ。

ならびとしてはこの講義より後の講義なんですけどね<源平藤橘

歪んだ講義進行の弊害ですねぇ。

(あえて無視)歴史なんて所詮は一部の人の動きを追ったものでしかないんだけどさ、ただだからと言って名も無く死んでいった人と上級貴族の遺志にまで差が出るとは思えない。

無念さで言えば人間としても扱われなかった人たちの方が大きいでしょうね。

たとえその人たちがそういうことを考えることができるだけの教育みたいなものを受けていなかったとしてもね、それこそ本能的に感じるだろうって思うんだよね。

理由付けが欲しかったのカモしれませんし、もっと言えば当時そういう事を言い出す人たちだって科学的根拠に基づいて言ってるって訳でもありませんからね。
今の世の中ででも「なんとなくこわい」みたいな感覚で動くことありまするし。
言ってしまえばお墓参りなんかも別にお墓に行けば先祖に会えるって訳でもないのに行っています。

そういうのは個人個人の考え方だけだからね。
霊魂だの怨霊だのって言葉を使って自分自身を納得させてるだけに過ぎない。死んでしまってからお墓を立派なものにしましたとか高い戒名にしました、お墓参りは欠かしていません、そんなもん残った者のマスターベーションでしかないよ。そんなことやることに何の意味があるの?って感じ。それで「死んでしまった」本人が喜ぶとでも思ってるのか?

・・・なんかあったんですか?

わたしゃー生前どんなだったかってのを間近で見てたから余計にムカつくんだ!

何だったんでしょう?

さぁ(笑)センセにもいろいろあるんじゃないですか。

ハッ!(←我に返った)
奈良時代末期の末法思想なんかはその時期の奈良仏教のどうにもならない閉塞状況みたいなモノもかなり影響してると村下的には思ってるんだけど、こういう怨霊思想にしたってもはやこの平安時代って言うモノがひとつの文化としてはもはや老衰期に差し掛かってたんじゃないかな?とも思えるのね。

え?でも平安文化を代表する源氏物語とかってこの後じゃなかったでしたっけ?

普通は道長・頼通あたりの時代が摂関政治と平安文化の全盛期って捉えられ方をしてますよね。
ま、ココは普通なお話をするところじゃありませんから(笑)

わかってるねぇ、感心感心。
今の時代でもTVなんかでブームが取り上げられる頃って言うのは大体もうピークを過ぎてるって事が多いでしょ?
遣唐使の廃止なんかからも想像したいんだけど、本質的にどこにピークがあるかって言うのは考えどころなんじゃないかなーって思ってる。
ココは主に政治関係のお話をしてるんだけど機会があれば文化的なお話もやってみたいね。

しかし今回はなんか怒ってましたねぇ。いい加減な講義で名高いセンセらしくもない。(笑)

とにかく「怨霊」がどうのこうのなんてことを言い出すと「何を増長してんのヨ!」って思っちゃうのよ。
とりあえずはあなたにスポットは当てているけど他の人を無視してるんじゃないぞ!ってね。怨霊だの悪霊だのなんて対象としてその人のみしか見てないってことじゃん。他の人を完全に無視しちゃってる。
わたしそういうのは我慢ならないのよ。

歴史ってそういうピラミッドの上の方にしかスポットが当たりませんから、歴史のお話をするときにはしょうがない面もあるんですけどね。

でも「それが全て」みたくなっちゃうとそれは違うでしょ!ってなっちゃう。
歴史って確かに一握りの人間によって動かされたって見方もできるんだけどさ、それは観察の対象としてその人たちにスポットを当てているってだけのお話なのよ。

それは歴史ってものがそういうものだから・・・ってことですか。

アムロ風に言えば「あなたに出番が回ってきただけだ」って感じかな。

ちょっとその引用は意味合いが違うと思うんですけど。

ガンダムなんてーのは後付け解釈だけで成り立ってるようなもんなんだから、何だって都合良く解釈しちゃえばいいのよっ。
文句あるならGPシリーズとΖの整合性を示してから言いなさい。

あたし19歳だからわかんないも〜ん。

もうあれから35年だからのぉ(涙)

イエ、あれはZのセリフですので25年です。

ああっ、こんな終わり方だなんて・・・

         
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