元寇は幕府のあり方だけでなく御家人たちの意識までをも変えるものであった。彼らが待望した『強力な中央集権国家』が『得宗による幕府権力の独占』という形態で実現した時、時代は大きなうねりを帯びて動き出す。
元寇が日本にもたらしたものとは何であったのか。村下が迫る!

■ 元寇その後〜遂に日本全国をその支配下に置いた幕府

元寇がその後に与えた影響は何だったかっていうことをかいつまんでよろしく。

いや、すぐその上↑に「村下が迫る!」って・・・

知ってることを言えば良いのよっ!

コワイなー、もう。
元寇を追い返したのに恩賞になる土地が与えられずに御家人の不満がたかまった、得宗の全国支配が広がった、といった感じ?
学校で教わるのってそんくらいじゃなかったっけ。

なるほど。じゃあ1つずつ片付けていこうか。

片付けられちゃうのか・・・

まず「恩賞として土地が与えられずに御家人の不満がたかまった」っていうやつからね。

それまでの戦いは基本的に土地の奪い合いですから、負けた方の所領を勝った方がもらうってことで何も問題はなかったんですが、元寇は外国が攻めてきたのを追い返しただけですから与える恩賞がないってことですよね。

ところでさ、元寇で主に活躍したのってどこの人たちかわかるかな?

やっぱ地理的に考えて西日本の人たちですよね?

九州方面の非御家人が主力だったようです。

でもね、元寇前の九州っていうのは朝廷の勢力範囲なのね。

あ、そっか。
でもよく幕府の言うこと聞きましたね。

そこへ幕府が動員をかけることができたのは前の講義でも話したようにふがいない朝廷から対モンゴル戦に於いて国内のあらゆる統治権を委譲されたからに他ならない訳よ。
で、ここで幕府は禁じ手を使ってる。

二歩ですね!もしくは三三。

長い講義なのでいちいち付き合わないわよー

わたしがボケることって滅多にないんですが・・・

三三はファミコンの五目並べだったら禁じ手じゃないし。

今やwiiとかPS4が出ようかって時代に・・・

設定上、わたしはファミコンを知らない世代なのだv

Aという荘園には朝廷から任命された荘官(非御家人)と幕府から任命された地頭(御家人)がいる。
幕府はその両方にAをエサに動員をかけたのよ。

非御家人はここで活躍してAに対する幕府のお墨付きをもらいたい。それは御家人も同じで邪魔な非御家人を排除してA唯一の管理者となりたい、ということですね。

だから元寇後の問題というのは与える恩賞がなかったっていうのはちょっと違っていまして。

恩賞はあったワケ。それまで朝廷管理下だった土地をあげれば良いんだから。
朝廷側がどう言おうと権限を委譲したんでしょ?ってことだからさ。
問題になったのはそれまで二重支配に対する不満は朝廷と幕府へ別々に陳情されていたから、幕府は朝廷へ、朝廷は幕府へ責任を持っていっておけばよかったものを今話したようなことをやっちゃったから幕府が一手に引き受けなくちゃならなくなったってとこにあるのよ。

実際のところ新たに所領を与えた場合もかなりあったようですね。

お、よく知ってるね。
関東御領って言って将軍家が直轄する土地を細分化してそこへ地頭を置いたりしてる。

その他皇族や有力貴族の持つ荘園へ新たに地頭を置いたりもしたようです。

するとそこで更にもめ事が出てくる訳か。

一手に幕府が処理しなきゃならない。それまで支配地域が広まるにつれて整備してきたとは言うものの、出発点が頼朝個人のローカルな家政組織でしかない幕府の処理能力を完全にオーバーフローしてしまったのよ。

有名な『永仁の徳政令』はこの時期に出されています。

徳政令って借金とかチャラにしようっていうアレでしょ?貸してる方からしたらたまったもんじゃないよね〜

御家人が生活に困って土地を質に入れたり売ったりしたものを強制的に返還させた。しかしそれ以降御家人に対してお金を貸すことを渋るようになったので御家人が更に困窮することとなり、ひいてはそれが幕府の求心力低下を招いたと言われています。

たしかにそう言われてるよね。
でも村下ゼミでは言わない。

相変わらずですね。

徳政令第一発目の『永仁の徳政令』、実はここに元寇後の幕府の実情と徳政令本来の目的を見出すことが出来る。
一部しか残ってないんだけどちゃんと見てみましょう。ハイ、晴田くん。

第一条、越訴の禁止。越訴というのは一度ケリのついた案件をもう一度持ち込むことです。
第二条第一項、所領の質入売買の禁止
第二条第二項、御家人が既に質入売買した領地の無償返還
第二条第三項、幕府の安堵状を持つ者や20年を経過したものをこれらから対象外とすること
第二条第四項、非御家人や庶民は第三項の特例外とすること
第三条、庶民が裁判を幕府へ申し立てることの禁止

・・・と言ったところです。

たぶん広く知られているのは第二条第二項だけだと思うんだよね。
「武士が質へ入れたり売買した土地を全部返しなさい」これが徳政令の決定的なイメージになってしまってて、さっきのような論調を持って来てるんだな。
でもこれってさ、全部読んでみて御家人の負債をチャラにしてあげようってことを主眼にしてるように思える?

できるだけ幕府にもめ事を持ってこさせないって方針が貫かれてるように見えますね。

そう、徳政令って御家人のためっていうよりも幕府へ持ってくる訴えを減らすのが目的だったのよ。
並べて見てみると第二条第二項なんかはそのために御家人の所領を確定させておこうっていう措置だというのがよくわかるでしょ?
もちろんこの後に出される一連の徳政令には分割相続による御家人の零細化や貨幣経済が浸透したことによる社会の変革をなんとか食い止めようっていう要素は多分にあるとは思うんだけどね。

初期の徳政令は幕府のわがままで出したようなもんだ、と?

こういうことをやってると御家人だけじゃなくって貴族や庶民にも不満がたまっちゃうよね。
訴訟を認めないってことは矛盾を解決することを放棄してるってことだからさ、そんなお上に仕切られちゃたまったもんじゃない!って当然思っちゃう。

徳政令は幕府の権威を失墜させることへ直接繋がってるんですね。

このことがわかってるとこの後の時代に待ってる「建武新政」でのメインどころ、「記録所・雑訴決断所の設置」ってのがこの時の混乱具合を相当色濃く反映してるのがわかってくるでしょ?

なるほどねぇ。

ハイ、元寇の影響その1!
「それまで幕府と朝廷に二分されていた不満が全部幕府側に来てしまった」
ということで次、2つめ。

得宗の全国支配が広がった?

元寇に対して祈ることしかしなかった朝廷に対してまさにその職務である「征夷」で立ち上がったのが幕府だった訳なんだけど、対モンゴル戦は国力を総動員かけないと乗り切れない、総動員をかけるには全国支配をしなければならないという現実があった訳よね。
時を同じくして進行していた幕府内での得宗への権力集中は、元寇という未曾有の危機に瀕して人々が強烈な中央集権国家を望んだことに対する自然な帰結だったと言えるのね。ただ・・・

こと内政に関しては効果的な政策が打てないままズルズルと・・・って印象はありますよね。

外交と内政は全然別物だからねぇ。

北条氏ってなんか敵ばっかりってイメージだもんなー

それまでも主権者じゃない存在が為政者として君臨するっていうのはあったのよ。

摂関とか上皇、法皇ですね。

ただ将軍も含めてそれらは天皇に直結してるのね。だからこそ為政者たりえた。
でも北条氏って一応平氏を名乗ってるけど所詮東国の弱小武士集団の1つでしかないのね。幕府内でも将軍家とすら血縁を持たない一介の役人に過ぎない。
そこには決定的に血の権威が無いのよ。

名門の足利氏あたりからすれば「ケッ!」って感じなのかもしれません。

その血に権威を持たない北条氏は将軍を更に飾り物にして、組織としての幕府を作り上げなければ自身が権力者になることはできなかった。

でもそれって別に北条氏でなくても良いってことですよね?

だから北条氏は自身が権力者として君臨するために北条氏と対立しうる有力御家人を排斥しなければならなかったの。
そしてそれを繰り返すと政治の中枢には一族しか残らなくなる。
実は得宗専制というのはそういう経緯から成り立ってるものなのよ。

官僚的ですね。

そう考えるとわかり易いかもしれないね。
北条氏は血の権威じゃない組織としての権威を確立させようとした。でも組織ってのは平等だから有能であれば別に北条氏でなくても良い。
じゃあ北条氏から見れば自分たち以外は排除しなければ自身の安全は保てない・・・ってなっちゃうんだよね。

1285(弘安8)年、霜月騒動により安達泰盛他500人の御家人が処分されます。

安達氏って実は北条氏の一族なんだけど、血の求心力を持たない北条氏はたとえ同族であっても北条本宗家の座を脅かすモノは排除していかないとならない宿命を背負ってるんだね。

北条氏側の論理としては「得宗専制」っていうのは鎌倉幕府が全国統治を要求された時、その事実上のトップである北条氏の性質上やむを得ない形態だったとも言えます。

とりあえず霜月騒動は講義でやりたいと思ってるのでそっちでよろしく。

霜月騒動ってそんな大したお話なの?

これを以て得宗専制が完成しますので出てないことは無いと思いますが、教科書では紹介程度に出てくるくらいですか。

でもこれは幕府のあり方を変えようとしたっていうところで注目したい事件なんだな。まぁ講義聞けばわかるよ。

前回講義から何年開いたのかを考えると、果たしてわたしが生きているうちに聞けるのかという疑問はあります。

はーーい、元寇の影響その2!
「北条氏の抱える矛盾点が浮き彫りにされた」

全国支配を完成させつつあった幕府とその頂点に立つ北条氏。いち地方政権だった頃には出てこなかった問題点が全国的組織になることで浮き彫りにされるようになりました。
いつの時代もそうですけどその問題が国家にとって大変なことだ認識する人が多ければ多いほど時代は動くんですね。

承久の乱で武士の圧倒的な実力を見せつけたことで東国の切り離しに成功した鎌倉幕府だったけど、それはそのまま全国統一組織たりえないということが元寇以降の幕府政治で明らかになった。
だからこそ後醍醐天皇が動き始め足利尊氏は立ち上がるんだね。
こういう認識があると無いとでは鎌倉末期〜室町初期を正しい目で見ることができなくなっちゃうよ。

正しいんですか?

ということで次回はもうちょっと詳しくお話しましょう。

続きまーす。

         
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