九州へ逃走した尊氏はなぜ「錦の御旗」を使わなかったのか?鎌倉幕府滅亡以来彼が画策していたこととは?
源氏の正統にして武家の棟梁と足利氏が認識されたのは九州戦にこそ、その真実があったのである。

■ 源氏の貴種

尊氏が将軍を目指したのはやっぱり「武門の棟梁」でありたいというところから?

そうだね。
その上で将軍であるためには源氏の嫡流でなければならないという論理からね。

「なければならない」って事実そうだったんでしょ?

「源平交代説」って知ってる?

天下を治めるのは源氏と平氏で代わる代わるつとめるってやつですよね。

またいつかお話したいと思うんだけどもそれって結構後々になって言われ始めたことなのよ。
少なくとも尊氏の時代に将軍は「源氏の嫡流がなる」っていう感覚があったと思うのよね。

あれ?たしか鎌倉のところで「公家である将軍」とかそんなお話なさってませんでしたっけ?

あのね、公家の将軍でも何でもいいんだけどあくまでも源氏であることが条件って言うかね、源氏の正統であることと武門の長であることを将軍には求められていたと考えたい訳よ。村下的には。

摂家将軍は藤原氏だし親王将軍は皇族です。
それにどちらも武門の長であるとはとても思えません。

藤原頼経も宗尊親王もそのまま将軍になったワケじゃないよ。あくまで養子になって源氏として将軍位に就いたのよ。
それは同時に鎌倉幕府の長にして源氏の当主。イコール武門の長って案配さ。

なんかいい加減だなぁ。
で、尊氏の頃の足利氏はまだそこまでの認知はされていなかったと?

何を以て嫡流というのかがいまいちわかんないんだけどね。
頼朝系源氏ってもういない訳だ。でも源氏って清和源氏だけでなくっていっぱいいるんだよね。清和源氏にしたって何も頼朝系が本流だなんて決まってる訳じゃないし。
頼朝が清和源氏であるかどうかって言うのはまた別のお話なのでそれはちょっと忘れてね。

・・・なんかまたアヤシゲ説が出そうな予感。

源頼信からの嫡流である繋がりは足利氏ではなく、やはり頼朝系となるかと思いますが。

ちょっといいですか?

「アナタハ神ヲシンジマスカァ?」

古ぅ。

毎度のことながら世代のギャップには苦しむよのぉ(涙)
・・・で、何よ。

頼朝系だとか足利だとか新田だとか訳わかんないんですけど。

う〜む、そういうところはわかったものとして進んでしまってるのはよろしくなかったかな。
ホレ、晴田くん、説明説明。

藤原氏に代わって東国に基盤を作るようになったのが「八幡太郎」って言われてる源義家なんです。この人のことは以前お話しましたよね?

たしか自分の私財をなげうって部下に恩賞を与えたって言う。

そういうのがあって武門の長=源義家って感覚って大きかったんですよ。
平氏全盛時に頼朝が関東の武士の期待を一身に背負ったのはこの義家の直系だったからなんです。

足利は?

義家の長男が義親って言いまして、これが頼朝のひぃおじいさんなんです。
で、次男の義国の子孫に足利と新田があるんです。義国の長男義重が新田氏の祖で次男の義康が足利氏になります。

根っこが同じだから足利氏も新田氏も頼朝系源氏なき後って俄然「俺が出ていく番だ」って思っちゃうってことね。
でも長男の新田氏の方がパッとしないってのもおかしいですね。

これが世渡りってやつよ。
頼朝挙兵の時も足利氏は参加したのに新田氏は日和見だったってのもあって幕府の役職なんかからも疎外されてたみたいなのね。
それに引き替え足利氏は代々北条氏からお嫁さんをもらって幕府内でも準北条一族待遇だったしね。

なんかヤですね。

まぁ嫡流云々って結局はどの流れが今一番力があるかってことなんだろーけどね。

で、頼朝系がいなくなったので嫡流は足利家に移ったと?

鎌倉幕府でも要職を務めたんだし、現存の源氏で一番勢力を持つのが尊氏だった訳なんだけど、それにしたって新田氏の例を挙げるまでもなく、足利氏は源氏の中で相対的な最大勢力でしかなかったワケ。
その足利家が源氏唯一無二の嫡流と認識されるようになったのは尊氏の宣伝効果ってーのも大きかったんじゃないかなと思っちゃうのよ。

確かに殊更に源氏であることを訴えてる感じはありますね。

南朝勢に押されて尊氏が九州へ逃げたことがあったんだけど、この時尊氏は朝敵になることを畏れて自らが擁立した北朝の光厳上皇から院宣をもらってるのよ。
これで尊氏も逆賊の汚名を着る心配がなくなったって算段なんだけども。

朝廷対朝廷の争い?なんだかなぁ・・・

時代は下ってしまうけど戊辰戦争ってあったでしょ?江戸幕府軍vs薩摩・長州連合軍の戦い。
あれって戦力では圧倒的に勝ってた幕府軍がどうして負け続けたかっていうと、一にも二にも薩長側に朝廷がついていた、錦の御旗を持っていたってところに尽きると思うのよね。

大義名分がどちらにあるか、そんなのが重要になるんですよね。
そんなのどうでもいいような気もするけどなぁ。。。

戦う兵士達にとってみれば常に死の危険にさらされてるんだもん、何のために戦うのか、死ぬのかって大事なんだよ。これはいつの時代でもそうだと思うよ。

たしか尊氏は九州で勢いを復活させて京都へ攻め上ってきますよね?
すると九州での尊氏っていうのはあくまでも朝廷軍として行動したってことになりますよね。

ところがところが、九州での尊氏は「錦の御旗」を使うことはしなかったのよ。

何で?せっかくもらったのに〜

一般的に京都での戦いに敗れた尊氏は九州に落ちることで勢力の回復をはかったって言われてます。

『梅松論』なり『源威集』なんかにははっきりそう書いてあるもんね。
しかし九州でやったことでもうひとつ大きなことが「尊氏=源氏嫡流の宣伝」なのね。

転んでもタダじゃ起きないってヤツですね。

『梅松論』なんか読むとね、もうその頃の尊氏の行動の一つ一つを歴代の源氏になぞらえてんのよ。まぁ『梅松論』って足利側にかなり寄って書かれてるからその記述も後々の修飾が大きいとは思うんだけどさ。
だとすればなおさらに「なぜにそこまで」って思えるくらいにしつこく書く必要があったのか?ってことよ。
皆が認めることであるのならわざわざ何回も書くことないのに。

軍記物で過去の事象になぞらえて書かれるっていうのはさして珍しいことでもなく、むしろ常套手段ではあったんですけどね。

まぁね。ただ『梅松論』でしつこく書かれてる「御当家」って言葉は源氏の武将と尊氏とを一連の連続するモノと捉えさせようって狙いがあったのは明らかよね。
これは九州での天王山(この表現はおかしいかな?)多々良浜での戦いに象徴されてると言っていいと思うんだ。

南朝側である菊池軍との戦いですね。

ここで尊氏は錦の御旗でなく白旗をあげるの。

降参しちゃうんですか?

あははっ。白旗っていうのは源氏の旗だよ。ちなみに赤旗が平氏ね。
−−−で、尊氏は錦の御旗に対して白旗をあげた、これが何を意味してるか。

朝廷軍に対して源氏軍を名乗った?それじゃ大義名分が立たなくなるじゃないですかー。

せっかく大覚寺統(南朝;後醍醐)に対して持明院統(北朝;光厳)から院宣をもらったのに。
何のためにもらったんだかわかりませんよねぇ。

それこそが九州での尊氏のスタンスを現してるの。
南朝に対する勢力云々って言う次元じゃなくって「尊氏は源氏なんだ!」というアピールね。
敵方が錦の御旗をかざしているのにもかかわらず白旗をあげる、尊氏にとっての九州での戦いの意義って言うのは反足利勢(南朝側)との戦いであると同時に自分こそが源氏の嫡流、後継者であるという感覚を敵方はおろか配下の武士たちにも認識させるってところにあったんだね。

頼朝の奥州攻めが前九年の役の源頼義を模倣することで武士たちに頼義の後継者であることを認識させたのと同じように尊氏もまた九州での戦いを通して源氏の後継者を認識させようとしたってことですね。

尊氏のおじいさんである家時っていうのが「自分が死んでから三代のうちに天下をとるように」って書いたという置文や、足利家に代々伝わる鎧が源義家のものだったって言い始めるのもすべてそこに繋がるのよ。
ちなみに置文も鎧もは偽物、どっちも大ウソなんだけどね。

いいんですか?

結局尊氏は最大の勢力を持つワケで、そうなってしまうと白いモノも黒くなるって言うかね・・・。
武士たちからすればどっちでもいいや、みたいな感じじゃないのかな。

九州を出た尊氏は新田・楠木軍の待つ湊川に上陸します。このとき尊氏軍は「錦の御旗」を掲げてます。

あれ?おかしいじゃないですか。九州では使わなかったクセに何でいまさら使うんです?

尊氏がまずやらなければならなかったことは「自らを源氏の嫡流にすること」であること。さぁそれは一応達成できそうだ。
じゃあ次に何が来るかってなると「天皇を独占すること」だったのよ。

話が繋がりません。

聞きなさい。
鎌倉幕府に次ぐ幕府を興そうとする尊氏にはどうしても天皇を自分以外の武家と切り離す必要があったの。天皇家を足利が独占することで他の武家を自らの元に一元的に管理しなければならない。既に九州から攻め上る時点で尊氏は源氏の嫡流であるという宣伝でなく、今度は武門の長であるという主張をし始めていたってことよ。

今度はあくまでも「大義名分は我にあり」って意味ですね。

南朝を全く認めない、天皇家は北朝であるっていうことさ。

そういう意味では一連の戦いでももう別物になってるんですか。

九州での尊氏はあくまでも源氏として戦った。そして湊川以降の尊氏は天皇を擁する武門の長として戦ったってことね。

九州へはただ単に逃げただけじゃないんですね。

室町幕府って最初は南北朝争乱があるし後々には応仁の乱とか嘉吉の乱とかあって結構弱体って思われてたりもするんだけど、それでもやっぱり幕府を興してるんだからね。
時代の要請でもあったと思うんだけど、尊氏ってある意味頼朝以上にいろんな課題を背負って幕府を開いてるのよ。このあたりはもう少し認識されてもいいんじゃないかな?

壇ノ浦とか関ヶ原みたいな一大イベントもありませんからね。

まぁこの講義ではそういう面も含めてお話するつもりだよ。
ちょっと室町幕府の見方も変わるんじゃないかな?とか思ってたりなんかするんだけども。

どんなお話してくれるのか楽しみですねぇ。いつになるかわかんないけど。

うううっ

         
1つ戻ります 1つ進みます 項目トップへ

【各授業トップページへ飛びます】
-古代- -飛鳥・奈良- -平安- -鎌倉- -室町- -安土桃山- -江戸-
-幕末・維新- -明治・大正- -昭和初期- -昭和以降- -課外授業- -研究室-