8月

下記より日にちを選んで下さい。
01日 02日 03日 04日 05日 06日 07日 08日 09日 10日
11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日
21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

8月1日   

8月2日

8月3日

8月4日  

8月5日

8月6日

8月7日  
  ▼フランス、オルレアン家のルイ・フィリップが王位につく(1830)
  この人の政治がいわゆる「七月王政」。で、その七月王政を実現したのが「七月革命」。七月革命っていうのはあのナポレオンの百日天下の後、王位についたシャルル10世のあまりな僧侶寄り政治に反発したブルジョワ層が選挙で勝っちゃったあたりに端を発します。シャルル10世は反対勢力が議会の過半数を占める事態をクーデターをもって打開しようと試みます。で、出したのが「七月勅令」ってモノ。これがブルジョワ層の大反発をくらって一気に七月革命を引き起こす訳ですね。
だから自然と七月王政もブルジョワ寄りにならざるを得ない訳で。やってることは同じなんですけどね。優遇される対象が僧侶から銀行資本をバックにしたブルジョワ層になったってだけで。で、結局これも後にフランスの産業革命が進む中で、低賃金に苦しむ労働者層の反発を引き起こす訳ですが。
これは以前も書いたような気がしますが、あらゆる階層がしのぎを削って民主主義を勝ち取ってきた歴史を持つフランス。そしてそんな歴史のしがらみが嫌で新しい民主主義を作ろうとしたアメリカ。そしてそのアメリカから「アメリカに」都合の良い民主主義みたいなものをもらった日本。湾岸戦争でイラク侵攻に対する3国の行動ってとてもわかり易い構図だったと思いませんか?自分たちの歴史に誇りを持ち尊重していこうとする国、自分たちで新しい歴史を創ろうとする国、自分たちの歴史を忘れ去ろうとする国・・・。イラク問題や有事法制の事を考えると、時代は確実に変わっているにも関わらず未だに戦後からの流れから抜け出すことのできない自国の政府に、怒りを通り越した悲しさっていうか哀れみみたいなものを感じずにはいられません。
さて、話は元に戻ってこのルイ・フリップ。オルレアン家とは言うものの、実はシャルル10世(ブルボン家)はこの人のおじいちゃんだったりします。フランスの歴史はホントに厄介なんですが、正直たまにしか触れないような状態のわたしには何がなんだかもう(笑)

8月8日
  ▼スペイン無敵艦隊敗れる(1588)
  スペイン語でいうことろのアルマダ(Armada Invencible)。実はこの「無敵」と言うのは自称であって、別に長年に渡って無敗だったとか、各国の艦隊を悉く破ったとかそういう実績から呼ばれた訳じゃない。
新興のイギリスに対抗すべく時のスペイン王、フェリペ2世はサンタ・クルスを提督に任命して戦艦130隻、船員8000人という大艦隊を組織します。そしてこれへ陸軍兵19000人を乗り込ませてイギリス本土を攻撃するという一大計画を立てます。圧倒的な数にモノを言わせたこの計画と、絶対に敗北しないという自信から自ら「無敵艦隊」と呼んだんですね。しかし同年2月、提督は死去し代わって海戦経験の全くないメディア・シドニア公爵が提督へ任命されます。そして5月、リスボンを出港し7月末にドーバー海峡へ入った無敵艦隊は迎え撃つイギリス艦隊80隻に大敗北を喫してしまいます。この戦いをきっかけとして世界の制海権はイギリスへと渡り、かつて一大帝国を築いたスペインは徐々にその国力を衰退させ世界の第一線から退いていくこととなります。
奢れる者は久しからずと言うことですナ。
メディア提督の経験の無さが無敵艦隊の敗北の大きな要因であったことは間違いないところなんだけど、彼はその後も国王の信頼厚く、今度は大西洋総司令官に任命されます。結局彼の在任中にスペインはイギリスにカディスを奪われ、オランダにはジブラルタル沖海戦で破れるなど散々な目にあうんだけどね。
  ▼文化大革命発動(1966)
  1962年に出された「絶対に階級と階級闘争を忘れてはならない」という毛沢東指示をきっかけとして、社会主義社会における階級闘争という名目の下、「党内の資本主義の道を歩む一握りの実権派」ぶっちゃけて言えば劉少奇とト小平の打倒が最大課題だった文革。
この日、中国共産党中央委員会総会で「プロレタリア文化大革命に関する決定」を採択。これは文化大革命の発動をうたったもので、以後中国は1976年の毛沢東の死と四人組の逮捕による実質的な文革の終焉を迎えるまでの10年間、未曾有の大混乱へ突入していくこととなります。
文革も天安門事件もそうだけど、中国共産党上層部はこういうことを「将来の結果がわかった上で」確信犯的にやってる気配がプンプン臭う。もしわかっていないのならホントのおバカさんだろうけど、どうもそんな感じじゃないんだよねぇ。これはわたしが勘ぐりすぎてるのか?

8月9日

8月10日

8月11日

8月12日  

8月13日

8月14日  

8月15日  

8月16日

8月17日  

8月18日

8月19日  

8月20日  

8月21日

8月22日

8月23日

8月24日  

8月25日

8月26日

8月27日

8月28日
  ▼平沼騏一郎内閣が総辞職(1939)
  不倶戴天の敵と言われたドイツとソ連が「独ソ不可侵条約」を締結したことについて「欧州情勢は複雑怪奇」と声明したことで有名。そもそも日独伊三国軍事同盟はその前身に三国防共協定があって仮想敵国はソ連だったのです。そりゃ日本としてはびっくりするわな、って感じはするけどこのエピソードが示すような日本の外交音痴はもう伝統になりつつある。この条約はイコール欧州の覇権を目指すナチスドイツが打ち上げた戦争開始の合図であって、と同時に反共が永遠の目標であるヒトラーにとって、将来的にはやっぱりソ連と雌雄を決するって言う覚悟みたいなモノを宣言してるに他ならない訳で。それを感じられないようじゃあねぇ・・・ってところでしょうか。このあたりはやっぱり講義でやりたいので以下略ってことで。
  ▼東久邇宮稔彦首相が「一億総懺悔」と発言(1945)
  簡単に言えば「誰が悪いんでもない。みんな悪いんだ。」ってこと。戦争責任が天皇に及ぶことをおそれた政府によって持ち出された論調ですね。ただこの後のGHQによる指導者と国民との切り離しと指導者戦争責任論の強調によって一億総懺悔は破綻しちゃうんですが名前だけはしっかり残った。大体戦争に負けたのは戦力で圧倒的に劣っていただけであって、その中で良い悪いなんてありゃしないし。ミクロ的にあの作戦が悪かったとかこの外交が悪かったとかはあるけど、戦争はあくまで国際政治の中で正当に行使できる手段な訳で、戦争する(した)こと自体何も悪くはない。GHQ占領下でそう言うことが言えなかったのもあるんだけど、完全に戦争=悪となってしまっている認識は如何なモノかと思うことしきり。
  ▼ピアノ騒音殺人事件(1974)
  平塚市の団地で母子3人がピアノの音がうるさいとして階上の住人により刺殺された事件。今でこそ騒音についての意識は高まってきてるけど、この時期はまだまだそういう問題があることすら取り上げられることがなかった。実際、この事件をきっかけにして騒音問題が社会問題化したんだし。そもそも日本の共同体って言うのは古くから農村を主体として形成されてきていたんだけど、高度経済成長期からはそれが都市部へ移っちゃう。農村って言うのは農作業を共同で行うから、どうしてもその共同体自身もお互いの共同意識ってのが自然と作られていくんだけど、都市部の団地社会と言うのは別に何かを共同で行うこともないからどうしても共同体って意識が希薄になる。「集団のを形成する個」ではなく、「個をひとくくりにしただけの集団」になっちゃう。良いか悪いかじゃなくって、日本が欧州型の工業社会を目指した上ではもうそうなるしかなかったりするんですね。その中で意識としては共同社会ってのがあるから問題は更にややこしくなったりする。

8月29日
  ▼湾岸戦争の多国籍軍への資金協力として10億ドル拠出(1990)
  軍事音痴の海部首相(当時)が何を血迷ったか外務省ではなく大蔵省に査定させた結果出てきた金額が10億ドル。10億ドルには全く根拠がない上に米の思惑からも大きくズレてたのでブッシュ大統領(当時)も激しくがっかりしたとか。
「自衛隊は自衛隊として行くしかない」と言う小沢一郎幹事長率いる自民党執行部と「湾岸派遣はあくまでシビリアン」と言う海部首相率いる官邸。実はこの官邸側の夢想としか言えない態度が日本の対応を後手後手に回らせてしまった張本人だったりする。世論もどっちかと言うと海部寄りだったし。人的貢献と言うことで起草された「国連平和協力法案」も当時かなりの議席を持っていた社会党の絶対反対にあい、政争の具となってしまい敢えなく廃案。そうこうしてるうちにイラクへの空爆開始と。戦争と言う1分1秒を争うモノに対してこんなくだらないレベルで対応してるのを見て村下は心底情けなくて涙が出たものです。アントニオ猪木衆議院議員(当時)の人質開放への行動を「レベルが違う」なんて言ってた人がいたけど、政治の場がどれだけ低レベルだったかが全然わかっていない。ってゆーか猪木が人質開放してくれなきゃもっと行き詰まってたんじゃないの?とか思ったり。その後の掃海艇派遣もモメにモメたあげく、総選挙で社会党が大敗してくれたおかげでようやく実現。出港式に顔も見せなかった海部首相は日が経つにつれて高まる自衛隊への評価に態度をコロっと変えて帰国式にはいけしゃあしゃあと顔を出す。何でも海部さんは世界各地の十周年式典に呼ばれると、掃海艦艇派遣による日本の貢献を誇らしげに語っているんだとか。あーあ。
  ▼角川書店の角川春樹社長がコカイン疑惑で逮捕(1993)
  前々からイタイ発言で周囲に苦笑の渦を広げてくれていた春樹お坊ちゃまがとうとうやっちゃったって事件。それだけ。出版界に疎い村下でも彼のワンマンぶりを耳にすることは多く、いずれは内部告発的に失脚するんだろうなーってのは思ってましたが薬だったとはねぇ。
角川にはあまり馴染みがないので書くこともなく(笑)「時をかける少女」くらいか?

8月30日  
  ▼クレオパトラ7世が毒蛇に胸を噛ませた日(B.C.30)
  クレオパトラはプトレマイオス朝最後の王ってことになる。プトレマイオス朝ってのは紀元前332年にマケドニアのアレクサンドロス大王が前エジプトを占領して即位したところから始まる。だから純粋なエジプト文明じゃないんですね。当然クレオパトラもエジプト人じゃなかったり(マケドニア人)。アレクサンドリサがあったのもいわゆる三角地帯と言われてるあそこだし。
始めエジプトの慣例に従って弟のプトレマイオスと共に王となったんだけど、 姉弟の仲が悪くなるとエジプトに来ていたローマのカエサルを頼った。当時まだローマ帝国は成立していないんだけど世界最大の都市はローマで(アレクサンドリアが2番目)その実力はエジプトを完全に凌駕してたから、あっさりとカエサルによって女王の権力を取り戻すことに成功しちゃう。カエサルの死後はカサエルの部下アントニウスを新たな後ろ盾兼恋人としたんだけど、カサエルの後継者オクタヴィアヌスに負けちゃうんですね。オクタヴィアヌスに囚われてローマを引き回される屈辱よりも死を選んだ、と。美人と言うより才女ってあたりでカサエルやアントニウスを魅了したと言われてるんだけど、それなりに整ってないと殿方だってそうそう靡かないでしょ?みたいな。
  ▼ベン・ジョンソン、ソウル五輪で100m9秒83の世界新(1987)
  1年後に薬物使用が発覚し記録抹消。もう完全に余裕のゴールだったもんねぇ。あれ最後まで全力で行ってたらもっとすごいタイムになったんじゃないの?ってくらいに。それまでの世界記録9秒99を持ってたカール・ルイスがみるみるうちに離されていった時は鳥肌立ったモノです。結局金メダルも剥奪されるんだけど、いいじゃん。てめぇの責任でやってんだから何を飲もうが打とうが好きにさせてあげりゃーさ。村下はプロレスヲタなんですが、かつて初代タイガーマクスのライバルとして大人気だったダイナマイト・キッドは現役時代の筋肉増強剤(アナボリックステロイド)の使用が祟って今じゃ下半身不随状態だったりする。当時から薬物の副作用は指摘されてたんだけど彼はそれを使って観客を楽しませる道を選んだんだからそれでおっけーじゃん。(大型の選手ばかりのWWF所属だったからやむを得ず使ってたってのもあるんだけどね)。
そもそもアマチュアの祭典と言う割にプロの出場を認めたりしてオリンピック自体がエンターテイメント化してんだし、今や「出場することに意義がある」なんて誰も言わなくて「メダル獲得は何個?」って具合になってんだから、その中で観客を楽しませる手段や勝つための手段として何をやろうが選手個人が納得してんならそれでいいじゃん、って思っちゃう。口先じゃ綺麗なこと言ってても結局皆が求めてるのは経緯じゃなくって結果なんだし。

8月31日  

 

         
1つ戻ります 1つ進みます 項目トップへ
【各授業トップページへ飛びます】
-古代- -飛鳥・奈良- -平安- -鎌倉- -室町- -安土桃山- -江戸-
 -幕末・維新- -明治・大正- -昭和初期- -昭和以降- -課外授業- -研究室-