9月

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9月1日   
  ▼関東大震災発生(1923)
  午前11時58分44秒と言うお昼時に直撃されたのが被害を更に大きくしたと言うのは有名なところ。またタイミングが悪いことに大風が吹き荒れていたもんだからまさに火の海状態だったとか。川へ逃げた人ですら火事の熱気と舞い散る火の粉で突然髪から出火してそのまま亡くなった例もあったらしく、ちょっと想像できない程の地獄絵図だった模様。
よく地震の報道をする時に「直下型」とか「海洋型」とかってアナウンサーがしゃべってるけど、これは何を隠そう報道関係でしか使われてなくて、学術用語でも何でもない。素人の作った造語なんだな。
もっとも、TVなんかは未だに「フィーバー」なんて言うもはやパチンコ業界でも使わなくなった言葉を堂々と使ってるような、我々とはちょっと言葉の感覚が違う方々が生きてる場なので仕方ないんだけども。
ニュース書く人はわかって書いてんのかなぁとたまに思うことがあったりなんかして。
  ▼第二次世界大戦始まる(1939)
  この日ドイツが突如ポーランドに侵攻、9/3に英仏が独へ宣戦し遂に第2次世界大戦が勃発です。独は航空機と機甲部隊による圧倒的な集中攻撃によって短期間で敵を壊滅させると言う、いわゆる電撃戦によってわずか3週間でポーランド軍を壊滅、9月27日にはワルシャワを陥落させます。この間「独ソ不可侵条約」の秘密議定書で定められていた通り、当然のようにソ連軍もポーランドへ侵入してポーランドの東半分を占領しちゃう。
なんかこの6年くらい後にどこかで同じようなことやってるよねぇ、ソ連って。
そもそも独ソ不可侵条約ってのは東欧の独ソによる再分割条約に他ならなくて、英仏も独を責めるのなら同じようにソ連のことも追求しなきゃなんない。だのにソ連に対しては国際連盟除名程度のことしかできていなかったのはやっぱドイツ憎しみたいな感情があったのは確か。同じ事は日本に対するアメリカの態度にも言えるんだけども。
だいたいが帝国主義とかファシズムと言われるモノは民主主義のなれの果てであって、根は同じところにある。当時の世界情勢から言えば「同じ」帝国主義じゃないのか?と。相容れないのはむしろ共産主義であることが果たしてわかっていたのか?と。
  ▼サハリン上空で大韓航空機がソ連の戦闘機に撃墜される(1983)
  これがいわゆる大韓航空機撃墜事件。金賢姫のとは別物なので要注意。あっちは大韓航空機墜落事件ね。
ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空007便が、1983年9月1日午前3時28分頃サハリン島付近で旧ソ連軍の戦闘機のミサイル攻撃を受けて墜落したと言うこの事件、日本人乗客27名を含む乗客240人と乗務員29人の全員が死亡したんだけど、当時サハリン付近ってのは米ソが先鋭的に対立している地域として緊張しまくってた訳で、なんで同便は正規な航路からズレにズレまくってよりにもよって極東最大危険区域を飛んでしまったのかが未だに謎。
大韓航空機がスパイ飛行をしていたとも、ソ連機によって誘導されたとも諸説紛々だったけど真相は闇の中。金賢姫の事件と二重の刷り込みが入ってるから、正直ムラシタはあの青い機体には乗りたくないですねぇ。

9月2日

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9月10日
  ▼赤松満祐自害(1441)
  言うまでもなく嘉吉の乱で足利義教を暗殺した人。かいつまんで言えばこの事件が起こった理由は所領争い。相続人であるはずの満祐なんだけどことあるごとに将軍家がちょっかいを出して来たってそれだけ。まぁそのちょっかいも将軍(義持・義教)が赤松家の中で個人的に気に入った人間を厚遇しようって言う全く私的な理由からだったりして、コレじゃ逆ギレてもしゃーないなって風味爆発。
なんだかんだあって義持とは和解した満祐なんだけど、義教に対しては我慢ならなかったらしくとうとう暗殺→幕府へ反旗って流れに。幕府側では当然追討軍を出すことになるんだけど、ここで中心になったのが山名持豊。山名宗全と言えばピンとくる人はピンとくる、応仁の乱の西軍大将ですね。
室町幕府って言うのはその開府当初から守護大名との関係と言うテーマが一番の問題だったんだけど、そのテーマへ大きくメスを入れた義満があまりにも強権だったと言うのが義持以降の幕府権力に大きな影を落としてると思われ。政権の安定を図るには将軍への権力一極集中しか無いんだけど、実はそれを望んでいるのは誰も(当の将軍さえも)いなかったと言う事実。
この嘉吉の乱もそうだけど、応仁の乱や戦国時代への突入はもはや必然だったのかもしれませんですね。
  ▼国連総会特別本会議で「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の最終案を採択(1996)
  あらゆる国が加わってこそ意味がある条約なのに結局核保有国のインドは反対してる。採択したって意味無いじゃん。
そもそも包括的な核実験を廃止しようと言い出したのは冷戦時代のインド首相のネルーが最初だったわけだけど、自分ところが核を持ったら手のひらを思い切り返すようなことやってちゃ信用なんか得られませんわな。
ってゆーか、CTBTってたしか全会一致が原則のジュネーブ軍縮会議で、これまたインド反対に遭って国連に持ち込まれたモノだったような・・・。
「部分的核実験停止条約」が地下核実験をなし崩しに認めるような条約だったのに対して、これはあらゆる核実験を禁止するモノであったために大きな期待を寄せられていたのは事実。でも核保有国は新たなやり方を見つけだしてしまう。それが「未臨界核実験」と言われるモノ。核爆発って言うのはプルトニウムやウランの連鎖的な核分裂反応によって起こるんだけども、現在米ロなどで大流行の未臨界核実験って言うのは核分裂の連鎖反応が起こる「臨界」状態直前の条件下で行われる実験のことで、保有国側からすれば臨界点を迎えていないから核実験じゃない、と。日本の法律解釈なんかもそうだけど、いい年したオトナが何言ってんのよ!って言いたくなる。

9月11日

9月12日  

9月13日
  ▼ケベックの戦い(1759)
  フレンチ・アンド・インディアン戦争の雌雄を決したと言われる戦い。ヨーロッパ大陸における七年戦争の新大陸版とでも言うような英仏の植民地戦争最後の決戦ですね。北米大西洋岸から西方に農業植民地の拡大をはかる英植民地政策と、カナダからメキシコ湾にいたる交易路の確保をはかる仏植民地政策の衝突がこの戦争のそもそもの原因。この戦いの翌年モントリオールが陥落して全カナダがイギリス軍に制圧されることとなった。海上でも62年までに仏艦隊はそのほとんどが全滅、西インド海域も英艦隊により制圧されちゃう。その後63年のパリ条約によって英はカナダとミシシッピ川以東の地域を仏から獲得して仏を新大陸から追放することに成功します。さらにスペインからハバナと交換に東フロリダを得て新大陸での覇権を確立したんだけど、これが北米十三植民地の独立を招く原因ともなるんですね。
当時の英指導者は一体何のために今まで・・・って思ったことでしょうね。
  ▼明治天皇大葬の礼(1912)
  同日「聖将」と呼ばれた明治の代表的な陸軍軍人乃木希典が夫人とともに自刃。遺書によって明治天皇への殉死であることが判明します。漱石の「こころ」とか鴎外の「興津弥五衛門の遺書」がこの事件を題材にしてるのは有名なお話。明治大帝と呼ばれる明治天皇、おそらくみなさんが知るその姿ってのは写真であれ肖像画であれ軍服を着てるモノが圧倒的に多いと思うんだけど、これこそが統治者と言うよりも大元帥としての色合いが明治天皇は濃かったと言うのがわかる良い例な訳で。この明治って言う時に世界中が覇権主義で動き回っていたと言う時代的な性格もあるんだけど、必要以上にこの時期を神聖化してしまったのは昭和になって悪い面ばかり出てきてしまった気が。しゃーないんだけどね。明治天皇しかり昭和天皇しかり国際体面上、そうしなきゃならないってーもあった訳だし。
  ▼林彪事件(1971)
  1つしかない党副主席の座を得て毛沢東の後継者の地位を揺るぎ無いものにしていたはずの林彪。毛沢東より10歳以上も若い彼はただ待っていれば権力が転がり込んでくると思われてた。ただどうやら彼はモルヒネ(アヘン)中毒だったようで、待ってたら自分の方が先に死んじゃう可能性もめちゃ大きかったっぽい。
一応歴史としては、林彪グループは権力奪取の実力行使へ打って出たってことになってる。そのクーデタってのは3パターンに分かれていて、まず第一は毛沢東を暗殺し、そしてそのまま正規な法の手続きを踏んで国家主席へ就任するってパターン。次に、もし毛沢東暗殺に失敗したなら広州へ行き南部に新たなる勢力圏を作り割拠する。これが第二。そしてそれも阻止された場合はソ連へ亡命すると。これが第三のパターン。
結局毛沢東暗殺は失敗に終わり(失敗したことになってる)、彼らはソ連へ亡命しようとする途中モンゴルにて飛行機が墜落して死んでしてしまうってオチなんだけども、このお話は随所に腑に落ちない点があって謎が謎を呼んでいる。
まぁこういうのは死んだ人、その人がいなくなることで一番得をした人ってのが一番怪しい。
当初極左クーデタなんて言われてたのが江青の一言で極右クーデタってことになるってあたりは何かを暗示してませんか?
そう、この後あの四人組がいよいよ本格的に動き出すのです。

9月14日  

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9月30日  
  ▼「八色の姓」制定(684)
  普通「やくさのかばね」と読みますが、「はっしきのせい」とか「はっしきのかばね」でも可。従来の姓を統合して、真人(まひと)・朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の八級に改めて氏族を朝廷の統制のもとにおこうとした試み。どういう基準で分けられたかと言うと、真人は継体朝以後の天皇を祖とする公姓の豪族に、朝臣は皇別の諸氏に、宿禰は臣・連姓の有力氏族に、忌寸は帰化系氏族に、道師は技芸を世襲する氏族に、臣・連は宿禰にもれた旧来の臣・連姓の氏族に、稲置はもとの稲置姓の氏族に、って感じ。でも実はこのうち道師賜姓の実例は史籍に見当らなかったりする。
また後年、貴族=朝臣となっちゃったのは貴族の悉くが臣籍降下した皇族を祖に持つからなんですねぇ。

 

         
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