■ 日出づる処の天子 |
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とりあえず最初に言っておくけど今回は長いぞ。 |
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げ |
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久しぶりなんだから喜びなさい。 |
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サボっていたのはわたしたちじゃなくって誰かさんなんだけどなぁ・・・。 |
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さて、推古天皇践祚の翌年に皇太子聖徳太子が初の摂政として政務を総攬することとなりました。 |
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遣隋使や十七条憲法、冠位十二階とかで有名ですよね。あとは何と言っても「日出づる処の天子」。 |
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もしかして山岸凉子か?あなたもハマったクチ? |
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えへへ〜 |
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隋の煬帝に対して送ったと言われる文書は有名ですよね。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや、云々」中華思想の国に対して対等外交と言うか半ば「こっちの方が上なんだぞ」みたいな挨拶をしたとか言う。
また『隋書倭国伝』によれば当時の倭国王は「アメタリシヒコ」と言う男性となっています。これはどうやら聖徳太子を指すようです。 |
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ちょっとね、「アメタリシヒコ」が聖徳太子だったと言うのはわかんないんだぞ。 |
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でも中国の本に出てるじゃないですかー。 |
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じゃ聞くけどあれだけ聖徳太子を礼賛する『記紀』にこのことについての記述が全く無いのは何故なんだ?この事実を書き残す文献っていうのは『隋書倭国伝』にしか無いのよ。太子礼賛の為にも国威発揚の為にもこの「アメタリシヒコ」が聖徳太子だったなら書かないわけが無いって思わない? |
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書いてないんですか?日本の書物に。じゃぁ「アメタリシヒコ」って誰なんです? |
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当時の天皇って誰よ。 |
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推古です。 |
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おかしいじゃん。つじつま会わないじゃん。 |
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だからそれは摂政である聖徳太子を日本の首長と隋の役人が勘違いして・・・ |
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国書だよ、国を代表するんだぞ。なんで摂政ごときの名前で出す?ここは当然推古の名前で出すのがあたりまえなはずじゃないのさ。実権を握ってるのが誰であれ「卑弥呼」の例を見るまでもなくトップの人間の名前で出すに決まってるでしょ。
それに聖徳太子が厩戸皇子だったにせよ豊聡耳皇子だったにせよどこをどう読んだら「アメタリシヒコ」になる? |
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うーん。。。 |
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さらにこの後の608年に日本を訪れた隋の文林郎裴世清が会ったという倭国王は男だったんだよ。仮に推古天皇の摂政としての聖徳太子に会ったとしてそれを国王と勘違いするようなそんなバカだったのか?裴世清。
とにかく『記紀』にこのお話を書けばもっともっと聖徳太子を顕彰できたはずなのに書かなかった。いや、書けなかった。 |
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どういうことです? |
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書こうにもその事実を知らないんじゃ書けないでしょ。だって聖徳太子はそんな国書なんて出してないんだもん。 |
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出た!アヤシゲ説!! |
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失敬な。 |
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なら誰が出したんです?あの国書。 |
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村下説ではまだこの頃はいわゆる大和朝廷ってローカルなものでしかなかったって立場を取る。
ここで『隋書倭国伝』を信用するとしたら、ちょっと面白い記述があるんだけど。 |
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オヤジギャグでもかましてますか? |
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いやー、最近そんなのにまみれて仕事しちゃってるからわたしもすっかり染まっちゃってんのよねー。わたしの上司ってみんな結構なお偉いさんばっかりだからお愛想しなきゃなんないし、心のこもってない笑いがばっちりできるようになっちゃって・・・ってじゃなくて! |
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たまってるよーですねぇ。 |
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最近は若い衆もレベル低いんで困っちゃうよ。ま、それはそれとして。 |
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面白いお話って? |
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『隋書倭国伝』で日本の地形に関して書いた行っていうのは航路の他にはこれだけなのよ。
「阿蘇山あり。その石、故無くして火起こり天に接する者、俗以て異と為し因って祷祭を行う」 |
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え?阿蘇山? |
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阿蘇山って熊本県だよねぇ。飛鳥に行くのに仮に北九州に上陸して中国地方を陸行するなり瀬戸内海を海行するなりどちらにしてもなーんで熊本県の阿蘇山が出てくるんだ?裴世清が日本で最も印象に残ったのが阿蘇山だったっていうのは何を意味してるんだろーねぇ。 |
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なんか含んだ言い方しますねぇ。 |
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「アメタリシヒコ」は聖徳太子では無かったのではないか?この疑問は九州に王朝があったとしてそこに裴世清が行ったのだとしたら全てのことに合点が行く、なんて思ってしまうワケさ。 |
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相も変わらず強引ですねぇ。 |
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かっかっか。「創り出された」聖徳太子像にはもう勘弁して欲しいってのあるんだよね。
でもね、畿内の勢力は何もやってなかったって言ってるんじゃないんだよ。裴世清は九州王朝を訪問した後に畿内にも行ったって考えたいんだな。それについては知られている通りだと思うのよ。ただ「日出づる処〜」を書いたのは聖徳太子でも無いし畿内政権の誰でも無いと。 |
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じゃ十七条憲法とか冠位十二階なんかはどうなるんです? |
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十七条憲法って「憲法」なんて大げさな名前が付いてるけど「和を以て貴とし」だからねぇ。基本的に十七条憲法は「仏教をあつく信じてお上にはさからいなさんな」って主張なんだけど大したものじゃないよ。 |
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ですかねぇ。それまではそういうものすらなかったわけで内容云々はともかくとも評価されるべきものじゃないのかな〜って思いますけどねぇ。 |
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んじゃ内容はそれでもいいとしましょう。では文中第12条に「国司」、4,8,14条に「群卿百寮」って語句があるんだけど、「国司」の名称が使われるようになったのは大宝律令後で「群卿百寮」って語句が合致するのは天武朝以後であるってあたりについてはどう説明しましょうかねぇ。 |
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なんか意地悪ですね。 |
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奈良時代の『明一伝』だとか『七代記』あたりの聖徳太子の資料にも一切この十七条憲法の記述が見えないのはどう考えても『日本書紀』の創作と思わざるを得ない。ここにまたまた面白いお話があるんだけど−−。 |
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あ、またオヤジギャグですね。 |
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もういいってば。 |
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ううっ、ノってくれると思ったのに・・・ |
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この時期のチベットに「十六条憲法」が制定されたって事実があんのよ。 |
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ソンツェンガンボ王によって制定されていますね。かなり仏教に熱心な国王だったようです。それ以前でもインドでアソカ王が似たようなものを出してますね。 |
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仏教に熱心なところではそういうことをやってんのよね。で、このソンツェンガンボは「観音菩薩」の化身なんだってさ。 |
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たしか聖徳太子って・・・ |
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聖徳太子は「如意輪観音」の化身だよねぇ。似てるよねぇ。 |
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またまた含みますねぇ。 |
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冠位十二階についても推古天皇に冠位が無いのはいいさ、与える方だもんね。でも聖徳太子にも無いんだなー。おかしくない? |
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聖徳太子も与える方だったとか。 |
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百歩譲って聖徳太子も与える側だったとしましょう。さて、そこでもう一つ、実は蘇我馬子にも無かったんだなー。どうしましょうねぇ。馬子も与える側だったとしましょうかねぇ。 |
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言いますねぇ。 |
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馬子が与える側だったとすれば冠位十二階の制定に馬子もかなり関わっていたって見るべきよねぇ。でね、この冠位十二階って当時の百済の冠位と似てるのよ。百済系渡来人と非常に近かった蘇我氏が関わってないって思う方が無理があるって感じなんだな。冠位十二階は聖徳太子が作ったってよか蘇我氏中心でできあがったって説を村下としては支持したいと。 |
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んー、難しいですねぇ。 |
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ま、聖徳太子の実在とか創作とかどうでもいいんけどさ、「そう決めた!決めたんだったら決めたんだも〜ん」ならそれはそれでいいよ。でもなんかねぇひねくれ者な村下としてはありもしないことを信じ込まされてるってのがどうもムカついてしまうんだよね。
結局のところ確かにその時期、推古天皇を補佐した存在はあっただろうけどそれが「聖徳太子」っていうか「厩戸皇子」とか「豊聡耳皇子」っていうある特定された一人の人物であったかどうかってことね。 |
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名前がなんか「いかにも」って言うのはありますよね。 |
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聖徳で太子だもんなー。 |
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まぁ「聖徳太子」って名前は後世の作なのははっきりしてるんだけどね。
でも厩戸しかり、豊聡耳皇子しかり、なんか作為を感じてしまうんだねぇ。 |
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厩戸とくればキリスト?でもそんな昔にキリスト教の事がわかっていたのかなー?ザビエルが来たのって戦国時代ですよー。 |
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ちょうど『記紀』の編纂された頃って言うのは遣唐使が唐の文化を持ち帰っていた時期なんだよね。当時の唐は世界文化の一大博覧会的な土地だったんだよ。中国では景教って呼んでたんだけどネストリウス派キリスト教はしっかりと入ってきてたんだな、これが。 |
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推古天皇のブレーン達(主導権は蘇我氏にあっただろうけど)による連合政権的なものが打ち出した政策を、架空の人物もしくはさほど表舞台で活躍していない人物、すべてその手柄にしたって可能性もあながち否定できないと。 |
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とにかく後の権力者−はっきり言えば天智・天武天皇と藤原氏だけど−にとって自分を正当化させるためにも蘇我氏は不倶戴天の敵でないと都合が悪いんだから、蘇我氏が参加してたであろう連合政権に実績があってはよろしくないのよ。 |
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うーん・・・。なんかいいのかな〜。 |
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まぁ『記紀』(古事記は聖徳太子の記述なんてないから主に日本書紀)なり『藤氏家伝』なりが全て真実の記述であるかどうかちょっと冷静に考えれば答えは自ずと出てくるさ。後は貴方自身の考えにお任せね。 |
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えーーっ、教えて下さいよぉ。 |
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ウシシシシ。 |
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下品な笑い方・・・ |