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▼ロシアで二月革命始まる(1917) |
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後期ロシア帝政、いわゆるツァーリズムを打倒した1917年3月の革命。旧暦で2月なのが二月革命と言われる所以。
それまでに蓄積されてきたロシアの社会的矛盾は第一次大戦によって一気に表面化された訳ですが、2月27日(旧暦 14日) に首都ペトログラード(現サンクトペテルブルグ)で遂に労働者のストライキが起こります。
3月3日(旧暦2月18日)には首都のプチロフ工場から始ったストライキは自然発生的に全市に拡大し、3月8日(旧暦2月23日)より本格化、鎮圧する側のはずの軍からも次々に反乱が起きます。13日(旧暦2月28日)には首都での政府軍は解体され、権力は労働者兵士ソビエトの手に帰します。
3月15日(旧暦2日)ニコライ2世は帝位を弟に譲る意志を表明しますが拒否され、ここに300年にわたるロマノフ王朝(ツァーリズム)が崩壊します。
一方で穏健な改革を望む国会臨時委員会はペトログラード・ソビエトの条件付き承認のもと、同日臨時政府を組織し以後臨時政府とソビエトとが並存する二重権力体制が現出します。
この二重構造が十月革命、いわゆるロシア革命をもたらしロシアはソ連へとその体制を大きく変える訳ですね。
ロシア帝政ってのは農奴制を基礎に厳格な身分秩序と官僚制機構を骨格とした絶対君主制で、ツァーリズムは更にそこから教会を国家の隷属的機関化したこと、大貴族(ボヤール) を徹底的に弾圧して弱体化しツァーリへ権力を集中させたのが特徴かな。
だから基本になる農奴を解放した時点で崩壊は免れなかったと。 |
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3月9日 |
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3月10日 |
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3月11日 |
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3月13日 |
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▼英、宮廷音楽家のウィリアム・ハーシェルが天王星を発見(1781) |
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天王星は主要大気成分のメタンが赤い色を吸収するために青く見える。太陽の重力の影響が少ないので主要成分は重い物質になっちゃうんですね。自転軸の傾きは約98度でほとんど横だおしの状態で公転している上に磁軸が自転軸から約60度も傾いてて、なおかつ天王星の中心を通っていないと言う恐ろしい星。これでどうして安定してるのかが不思議。安定してんのかどうか知らないけど。自転周期の約17時間ってのはそのあたりをごまかすタメだったりして(笑)。
ちなみに1930年の今日、同年2月発見の惑星が「冥王星」と名付けられてる。天王、海王、冥王となってるのは命名するのが邪魔くさかったからか?海王星(ネプチューン)=ポセイドン、冥王星(プルト)=ハーデスだけど天王星(ウラヌス)=ウラノスで、アテナじゃないのは星矢ヲタとしては悲しい限り。 |
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▼京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組の24名が取立てられる(1863) |
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これが8月に改称して「新撰組」となります。前身の「浪士組」は幕府直轄の組織だったのもあって家茂上洛にも当然同行したんだけども、ここで彼らは尊皇攘夷派と結ぶ動きを見せます。慌てた幕府は彼らを江戸へ呼び戻す訳です。ここで松平容保に取り立てられた24名ってのはその時に幕府の意向に従わず京都残留を決めた人たち。幕府に刃向かった人たちを取り立てたあたりに幕府と容保(会津藩)の微妙な関係が見え隠れしますですね。
実際容保が藩主をつとめる会津藩と一橋慶喜ってのはこの時期大変重要な、いわばキーパーソン。このあたりも従来思われてる維新のイメージとはちょっと違うお話なんかがあるので近い内に本講義でやってみたいと思っていますです。勝者の歴史ってのはこの時代になってもあるんだな〜ってしみじみするかも。 |
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▼ソ連が大統領制に移行(1990) |
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初代大統領は共産党のゴルバチョフ書記長。これによって「プロレタリアート独裁」って言う共産主義国家の根本が放棄されます。その前から行われていたペレストロイカ(もうこの単語も忘れてたでしょ)とグラスノスチによってもう隠しようがならないところまで国民が「知ってしまった」。中国もそうだけど貿易の拡大や外貨獲得(同じか)を行うにはそれなりに情報を流通させなきゃ動かない訳で。そうなってくると国家が知って欲しくないことまで国民は知ってしまう訳で。
しかし急激な資本主義経済への移行は色んな歪みを引き起こしてしまった。ソ連はその後「独立国家共同体」としてEC型の緩やかな連邦へ移行しようとしたんだけど、このあたりに対する抜本的な対応が打てないままロシアの独裁・強大化を招いてしまってる。 |
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▼ネッシーの有力な証拠とされてきた写真がトリック写真だったと報道される(1994) |
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大騒ぎになったけど実はこの写真、これよりずーーっと前に偽物って言うのが証明されてたりする。「ドラえもん」第6巻なんかでも偽物説を図解入りで説明してたっけ。写真なんかはそれにまつわるお話や注釈(コレ大事)が往々にしてあったりする訳だけれども、いつの間にかそういう付随したモノと本体の写真とが分離してしまって写真だけが一人歩きしちゃう。よしりんあたりが検証してたりするけど、太平洋戦争での写真なんかもアヤシイのはいーーっぱいある。出所がはっきりしてるからってそれを即信じて良いかとなるとちょいと疑問って言うお話。 |
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3月14日 |
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▼江戸幕府、「田畑永代売買禁止令」を公布(1643) |
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ちょうど家光が将軍の頃。これって農民を農民として固定させるって言う身分制度確立を目指すモノの一環。経済が米を基準に回ってる以上、確実に収入を上げる必要があった訳です。
またそれと同時に豪農の出現を抑えるって言う目的もある。
でも江戸時代中期(享保の改革あたり)以降の慢性的な農民の窮乏化はこの法令を有名無実と化しちゃった。
封建社会ってのが、政治だとか経済の根本を下層身分からの搾取によって賄ってるって言う大前提がある以上、行き着く先は見えてるんですけどね。TOPはなかなかソレがわかんないのです。ある意味旧態依然としてる会社なんかでもそう言う面はあったりするんじゃないかしら?みたいな。 |
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▼江戸城松の廊下で浅野長矩が吉良義央に刃傷(1701) |
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如何なる理由があろうとも上下関係を守らなきゃならないのがこの時代の決まり事。吉良家は浅野家がどう逆立ちしたって追いつけないくらい格式の高い家なので切腹は当然。
「刃傷でござる」これを聞いて「人情でござる」と思ってた人も多いのでは?お情けで勘弁してやれ、みたいな解釈なら話が通らないこともないし。刃傷沙汰なんて普段使わないもんねぇ。 |
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▼ヒトラーがウィーンの英雄広場で大ドイツの成立を宣言(1938) |
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独墺合邦と言われるけど事実上はドイツによるオーストリア併合。これを「アンシュルス」と呼びます。ザール地方の合併問題やラインラント進駐なんかもそうだけど、これは全てヒトラーの究極目標であるゲルマン民族の純化(ユダヤ人の排除、ヨーロッパ新秩序の形成)に基づく東方ゲルマン大帝国の建設の一環に他なりません。また国際連盟の脱退に象徴されるように、ヒトラーは明らかにベルサイユ体制へ反発を見せてるんだけど、事ここに至っても尚、英仏はこれを容認する姿勢をみせてた。偉そうなコト言えるのか?みたいなのはありますわな。
ちなみにオーストリア、戦後一貫して「オーストリアはナチスの被害者」って主張することで戦争責任の追求も無かった。このヒトラーの演説の時、大歓声をあげてたり合併後のヒトラー凱旋を大喜びで迎え入れてたのはドイツ国民だったんですかねぇ・・・ |
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3月15日 |
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3月16日 |
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▼新バビロニア王ネブカドネザル2世がユダ王エホヤキンらをバビロンに移住させる(BC598) |
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これが第1回バビロン捕囚。3度に渡るエルサレム(ユダヤ王国の首都)の破壊、属州化による貴族や軍人なんかのバビロンへの強制移住をバビロン捕囚と呼びます。BC538年に新バビロニアは滅亡して捕囚のユダヤ人は解放されたんだけどその大部分は離散し、ディアスポラとなっちゃいます。ディアスポラってのはギリシア語で「散らされた者」って意味。彼らの活動から原始キリスト教は始まるんだけど、このあたりからの因縁なんですね。ま、エルサレムってのはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教全部の聖地だから軋轢あるのはしゃーないんだけども。 |
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▼独、徴兵制による再軍備を宣言(1935) |
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これはベルサイユ条約の軍備制限条項に完全に抵触する行為で事実上同条約の破棄通告と見て良い。当然賠償金の支払いもやめちゃって、完全に世界を敵に回すぜ宣言してるようなモノ。(ま、国際連盟はとっくの昔に脱退してるんだけども)
さて、この時点で実はまだイタリアはドイツよりもむしろ英仏と共同歩調を取ってたりする(指導者はムッソリーニであるにも関わらず)。しかし英が単独で独と海軍協定を結んだり、ラインラント進駐によって世界の目を伊のエチオピア侵攻から逸らしたってあたりで、ムッソリーニは独を高く評価。次第に独寄りになってくんですね。 |
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▼独、ボへミア・モラビアの保護領化を宣言(1939) |
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ボヘミア・モラビアって言うのはいわゆる「チェコ」と呼ばれる地域です。独はこれより前にスデーテン地方を割譲してる(これがミュンヘン協定)んだけど、時期を同じくしてハンガリーやポーランドからも領土を割譲してる。もうボロボロ。そしてスロバキアには独の傀儡政権が誕生し独より提督が送り込まれます。事実上チェコスロバキアの解体ですね。
んで、英仏はその間何してたかって言うと、独の目をソ連へ向けさせるために一緒になってチェコへ割譲するように勧告してたりする。何が「反ファシズム」?何か「民主主義」?
第二次大戦は民主主義vsファシズムなんかじゃなくてあくまでも帝国主義同士の戦い。そして英仏の帝国主義が独の国家社会主義を産んだのだと言う認識は深めておきたいところですね。 |
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3月17日 |
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3月18日 |
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3月19日 |
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3月20日 |
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3月21日 |
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▼空海没(835) |
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真言宗の始祖。唐で密教の伝授を受けて帰国後、高野山に金剛峯寺を開山した。三筆の1人としても有名な弘法大師。真言宗と言うのは、法身としての大日如来の自内証を開顕することを宗旨としている・・・って普通そんな言い回しされても一般人にはなんのことだか。
真言宗の本尊ってのは大日如来、これはまぁ良いとして、自内証ってのはその大日如来が説いた最高に難しいと言われる法典「自内証法門」のことを指すんですね。開顕は理解するって感じでしょうか。
この自内証法門ってのはすっごく難しいらしく、普通の信仰では理解できないと言われてるようです。密教がちょっと過酷な修行をやったりするのはこのあたりにも関係あるのかもしれないですね。
「秘密の法」とされている「自内証」が転じて「内証」となり、現在の「内緒」になったとも言われてますがホントかどうかアヤシイところです。(アヤシゲ管理人がアヤシサを指摘する矛盾)
平安仏教の主流ともなった真言宗ですが、やっぱり奈良仏教あたりから見れば新興仏教な訳で、ご多分に漏れずここも現世利益を全面に押し出した布教をやってたようです。しゃーないんだけどね。
現在真言宗は金剛峯寺の「高野山真言宗」とそこから分かれた「真言宗智山派」、更にそこから分派した「真言宗豊山派」の三派が有名。真言宗だからって金剛峯寺が本山ってんじゃないんですよ。 |
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▼日本初のグライダー登場(1925) |
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実はこれよりはるかン年前、キテレツ斎さまが人力による世界初の飛行を・・・ってのはキテレツ大百科の読み過ぎ。
リリエンタールのグライダーは1891年に開発・飛行したのだけど、遅れること34年、国内ではこの日初めての飛行となった。製作・飛行実験をしたのは馬場源八郎さん(誰よ!)。
「空飛んだ」って言うとライト兄弟の飛行機による飛行が圧倒的に有名ですが、大地から解き放たれたのはグライダーの方がずっと前。村下なんて飛行機よかグライダーの方が「空飛んでる」って実感湧くんですけどねー。 |
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▼講道館落成(1934) |
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嘉納治五郎が講道館を創設したのは1882年。何度かの移転の後、この日東京都文京区春日に落成。柔術が柔道となった時、それは実戦の技から「道」としての精神世界に入ってしまったとも言える。ここから六十数年後、柔術をベースとした実戦格闘技が全世界を震撼させるとは嘉納センセも思いもつかなかったことでしょうね。 |
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3月22日 |
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3月23日 |
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3月24日 |
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3月25日 |
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▼安和の変おこる(969) |
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多田源氏として、そしてまたあの酒呑童子と対決したことでも有名な源頼光のお父さん、満仲の密告によって、源高明が皇太子守平親王廃立陰謀のかどで失脚させられます。このあたりは講義でやってるのでそっち参照でよろしく。 |
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▼桂春団治生まれる(1930) |
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この春団治は「酒や酒や、酒持ってこーい!」の春団治じゃなくって3代目春団治。春団治、米朝、文枝、松鶴、これが関西落語界の四大派閥。
しかし米朝しかり文枝しかり春団治しかり、世襲することで「芸」までもが伝承されると思ってるのか?と思うことしきり。松鶴にしたって息子が不祥事起こさなければ同じだっただろうし。
関東でも林家正蔵をこぶ平が襲名したり「生まれ」が基準になって名跡が継げるのかと思うと残念でならない。小朝は春風亭の重鎮とは言え、そっちへ襲名させるのならまだ良心を感じるし実力も万人が(関西の芸人でも)認めるところだけど「えー、こぶ平なのぉ」って感じ。先代正蔵の彦六さんの名前にまで傷がつきそうなんだよなぁ・・・。
話戻って三代目について言えば、あまりにも「春団治」の名前が大きすぎて逆に不憫だったりするんだけどね。芸風も「春団治」からは想像もできないような優雅な感じで、苦労してるんだな、とは思わせてくれるし。
ま、面白いかどうかは別のお話なんですが。 |
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3月26日 |
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▼古代都市バビロンの発掘開始(1899) |
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バビロンとはヘブライ語で言うところのバベル。バベルの塔とか空中庭園なんかで有名。マヤとか殷とか超古代文明に思いを馳せる方々は多いんだけど、こちらも負けず劣らず謎な部分が多くて色々な想像を逞しくさせてくれるので「バビロン萌え〜」なんて人も歴史フリークには多かったり。
ま、空中庭園って言ったってラピュタじゃないんだから空中に浮いてる訳でもなく、高く積み上げた土台の上に庭園があったって感じの物だったとか。でもそこには川も流れてたりなんかしてかなり手の込んだモノであったらしい。全て想像でしかないんだけども。
世界七大不思議のひとつ。あと6つ知らないけど(←お約束) |
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3月27日 |
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3月28日 |
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3月29日 |
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3月30日 |
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3月31日 |
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