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5月16日
  ▼第二次長州征伐の為、徳川家茂が江戸を出発(1865)
  言うこと聞かない長州藩を懲らしめようってあたりから行ったのが長州征伐。そこはかとなく家茂の「やらされてる感」が漂ってるあたりがポイントかな。京都に対して遠く離れた関東の地に行政府を置く、頼朝以降良い面しか出てこなかったこのやり方が、遂に幕末になって今まで想定もしていなかった事態(諸外国との関係)が頻発することで悪い面しか生み出さなくなっちゃったのは不幸と言うか、なんと言うか。
このお話はいずれ本講義でやります。
  ▼韓国朴正煕の軍事革命委員会が無血クーデター(1961)
  これによって反共・親米政権が成立します。もっとも米の後ろ盾があったからこそのクーデタ成功であったんですが。
韓国の歴代指導者は李承晩−朴正煕−全斗煥−盧泰愚と軍人出身の人ばかりなんですが、その権力の握り方もバックに軍をチラつかせてることが多い。これは朝鮮半島がとっても特殊な位置にあって常に戦争の危険にさらされていたってあたりも関係してるんだろうと思う訳で。よく覚えてるのが盧泰愚が大統領になった時、金泳三や金大中は別の党の党首として大統領選挙に出なかったか?ってあたり。結局盧泰愚が当選してたけど、かなり最初の段階から残りの2人もいすれ大統領に・・・なんてお話が平気でTVなんかで言われていた。ちょっとちょっと、思想を異とするからこそ違う党に居るんでしょ?なんなんだ?一体?みたいな。それって大政翼賛会とか共産党独裁とかと何が違うんだ?みたいな。
  ▼中国共産党中央委員会が「無産階級文化大革命」推進を通達(1966)
  これがいわゆる「文革」と言われる文化大革命のこと。その名前からちょっとぼやけてしまうけど表向きは毛沢東指導による政治・社会運動のこと。でも結局は共産党内部の主導権争いですね。国を動かしていくには理想だけではどうにもならない面があって、実権派って言われてた劉少奇、ケ小平の路線も致し方ないって感じだったんだけど毛沢東はどうも気に入らなかったようで。しかしながら理想(ってゆーか感情)だけで政治をやっちゃうとひどいことになっちゃうって見本になってる。「中国四千年の歴史」とか言うけど文革で何をやったかわかった上で言ってるのなら随分と面の皮が厚いんだなぁ、と思ったりも。
文革は大体三段階に分かれてて、実権派が失脚させられ林彪が毛沢東の後継者と認知されるあたりまでが第一段階、林彪失脚、四人組台頭ってあたりが第二段階、四人組失脚によって党が文革の誤りを認めたあたりまでが第三段階って感じ。そんな区分けなどどうでも良いんだけどね。

5月17日  

5月18日
  ▼阿部定事件(1936)
  事件の特殊性から多くの人を惹きつけてやまないこの事件。今の世の中ならいざしらず、当時では裁判の内容なんかも含めてそりゃセンセーショナルだったのは間違いないと想像され。この事件を題材に取った「愛のコリーダ」の猥褻裁判も興味深い。検察側は映画の摘発を狙ったようだけど思うように立件できず、スチール写真なんかを収めた単行本の検挙に移行したとか。多くの文化人を巻き込んだこの裁判も1980年に東京地裁で無罪判決。東京地検の控訴も棄却され、無罪が確定した。猥褻どうのこうのなんてどうでも良いんだけど、あの映画では若い頃の藤竜也の存在そのものがイヤラシサを増幅させてるのは間違いないところで。
映画は面白いです。見入っちゃうですよ、色んな意味で。(大島カントクの作品で村下オススメは「絞死刑」ですが)
ちなみに阿部定事件のあったこの年は2・26事件の年。別にこの事件をして当時の風俗が乱れてたとは思わないけど、政府(軍部)による締め付けが厳しくなっていくとどこかでこういう爆発が起こるのかなぁなんて思ったりしてみる。ま、数々の事件や出来事が風化されていく中、これだけ人々の記憶に残ることがあったってことは、この年は日本のある種ターニングポイントだったのかもしれませんね。
  ▼高速増殖炉「もんじゅ」完成、機能試験を開始(1991)
  高速増殖炉ってのはその名前が示す通り、普通の軽水炉よりも反応が速い(250倍)から発電効率が良い訳ですね。ま、それは同時に反応を制御するのがとても難しいと言えるんですが。おまけに冷却剤にナトリウムを使ってるから(軽水炉は水)取り扱いがすっごく大変。空気に触れりゃ燃えるし水と反応して爆発するし、どうやら鉄とも反応するとか。
「もんじゅ」で95年におきたのがこの冷却剤のナトリウム漏れ。床一面に敷き詰めていた鉄板(当時鉄はナトリウムと反応しないと思われていた)を溶かし、もう少しで外壁のコンクリートと接触するところだったとか。しかしそもそも基本構造からして無理がある高速増殖炉だけに起こるべくして起こった事件って感じだったりも。
それでも高速増殖炉を推進したいのはこの炉が燃料にプルトニウムを使うって点から。ほとんど理由はその1点のみだったりする。石油資源の輸入だけでなく効率よく資源を使い回したい。んじゃ、軽水炉型などでウランから生成されるプルトニウムを使えば良いじゃん!って発想。プルトニウムを核分裂させたあとの超猛毒な放射性物質はどうするつもりなんだろう?

5月19日  

5月20日  

5月21日

5月22日

5月23日
  ▼コペルニクス、地動説を発表(1543)
  当時既に70歳。「天体の回転について」という著作で地動説を発表するも、実は彼自身は13年も前に地動説に到達していたりします。この著書を発行したのが彼の死の直前てあたりから考えても、いかに宗教的制約が多かったかは想像に難くないですね。ただ伝統的な地球中心のプトレマイオス体系ってのがすでに当時の観測事実を証明するのでさえ多くの不自然な技巧を施さなければならない状態にあって、哲学的のみならず実用天文学上の観点からも根本的変革の必要に迫られていたのは紛れもない事実。そんな中で発表された地動説は、当時の理論的難点のいくつかを取除くことができたばかりでなく、天界は神聖かつ不変であり生成消滅する地上世界とは本質的に異なるという伝統的区別、また大地の不動性など神学・哲学ばかりか常識の根底にまで浸み込んだ考え方に真向から反するものだった訳です。しかしコペルニクスの体系自体には宇宙の有限性や惑星天球および周転円など保守的要素も多く残存していたのも事実。ただこのコペルニクスの天文体系から派生する多くの問題を解決していくことこそが、ケプラー、ガリレイ、ニュートンなんかによって進められる科学革命の中心的な課題となっていく訳ですね。
  ▼ウィーン会議、ナポレオン打倒を決議(1815)
  ナポレオン1世に占領されていた各国領土の処分審議がもめにもめて前年9月から結論は出なかった訳ですが、その間にナポレオンが復活しちゃう。会議委員はあわててその打倒を決議します。このウィーン会議ってのは、フランス革命とナポレオン戦争ののちヨーロッパの政治秩序再建のために1814年9月から 15年6月までウィーンで開かれた列国会議のことです。オーストリア、プロシア、ロシア、イギリスの四大国が事実上の決定権を持ち、その他関係諸国の代表が列席します。敗戦国フランスも参加してて、タレーランの外交手腕によって巧みに自国の利益を守ったのも有名。いろいろな国の君主や貴族が集まっていたので、オーストリア宮廷は絶えず派手な招宴を催してたのもあって議事遅延を招いたことも有名。有名ばっかりだ。1815年6月9日のウィーン最終議定書により(1) オーストリアはベネチア、ロンバルディアを獲得 (2) プロシアはライン川下流地域やザクセンの一部を獲得 (3) ロシアはポーランドを獲得 (4) イギリスは植民地を拡大 (5) オランダはベルギーを合併 (6) スイスは永世中立国となる (7) ドイツ諸邦はドイツ連邦を結成するなどの決定が行われます。これらはいずれも諸国民の民族主義的、自由主義的要求を圧殺し、フランス革命以前の統治体制の再建を目指す正統主義とヨーロッパ諸大国の勢力均衡という二大原則の実現を目指したものだった訳です。これに基づく復古体制は普通ウィーン体制と呼ばれて、1848年の三月革命にいたるまでこの体制は続きます。まぁ戦勝国側が自国の権益保全に全力を挙げるのはわからない話ではないんですけどね。それをどう繕って建前を通すかってのが国際社会の方法論だったりする訳で。

5月24日  

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5月30日  
  ▼米、火星探査機「マリナー9号」打上げ(1971)
  火星の衛星軌道上を周回した初めての惑星探査機。太陽系最大の火山と言われるオリンポスやかつて火星に水があったこと推測させるマリネリス渓谷の写真が鮮明に写された。また火星の衛星、フォボスとダイモスのクローズアップ写真もこの探査機 によって初めて撮影された。この衛星、どちらもカタチがなにやら不規則でクレーターに富んでる。まさに「じゃがいも」って呼び方がふさわしい程に。んで表面の反射率は大変低く、比重が2くらい。このあたりが小惑星の中の炭素質コンドライトに非常に似ていたりする。火星が小惑星帯に近いことを考えると、この衛星はもともとは小惑星で火星の周辺に迷い込んだものを火星が拾った可能性が強いと言われてる。
米のマリナー計画は別に火星に限定されたものじゃなくて金星や他の星も目指してるんですが、いよいよここから火星探査の本命、バイキング計画が動き出すんですね。
宇宙計画は様々な思惑を含んでいます。どこかのバッタモン研究者(おめぇに言われたくねーよ!)がUFOなんかを絡ませて胡散臭いこと言ってますが、話半分で聞いておくことをオススメしておきます。あーゆーのって冷静に見ると穴だらけですから。
ってゆーか、実は日本も火星へ向けてロケット発射してるって知ってた?
  ▼岡本公三ら日本人ゲリラ3人がイスラエル・テルアビブ国際空港で自動小銃を乱射。死者26人(1972)
  これが日本赤軍テルアビブ空港事件と呼ばれるモノ。新左翼の大学闘争敗北をきっかけに関西を中心とする急進的な過激派が組織したのが赤軍派。その赤軍派の中で世界同時革命を目指し中東(レバノン)入りした人たちによって組織されたのが日本赤軍。この事件は日本赤軍を庇護していたPLOの武装ゲリラ組織「PFLP」(パレスチナ解放人民戦線)の指示によって結構されたんだけども、双方の主義主張で共通するものって「武装」ってことだけじゃん!みたいな話もある。中東諸国のイスラエル憎しの感情は共産主義と何の関係も無い訳で、そういうところと結ぶってあたりだけでも赤軍派の行き詰まり感が見え隠れしてる。世界同時革命を目指す割にはやってることが局地的なテロ活動だったりするし。
この事件で3人いる実行犯のうち、生き残った1人(他の二人は現場で死亡)の岡本公三氏の裁判での証言。
「我々3人は死んでオリオンの3つ星になろうと考えていた。それは子どもの頃、死んだらお星様になるという話を聞いたからである。信じられないまでも納得する気はあった。外国での習慣は知らないけれど、われわれが殺した人間も何人かは星になったと思う。革命戦争はこれからも続くし、いろんな星がふえると思う。しかし、死んだあと同じ天上で輝くと思えばこれも幸福である」
彼らの主張ってそこかしこでちょっとメルヘン入ったような子供っぽいお話が織り交ぜられたりしてることが多い。血なまぐさい現実とメルヘンな脳内世界が入り乱れてさぞかし精神状態は不安定だったのだろうと思われ。そんなこと言ってるからダメなんだ、って誰かがつっこんであげないとさ。

5月31日  

 

         
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